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21世紀の坂本龍馬か? 政治起業家としてのリーダーシップ:橋下徹リーダーシップ研究

カテゴリー
ワーキングペーパー
発行日
2012年11月15日
関連プロジェクト
未来日本2030

EAI日本研究パネル報告書 No.1

著者

パク・ミョンヒ_梨花女子大学政治外交学科 BK21事業チーム博士後課程研究員。梨花女子大学政治外交学科を卒業し、(社)地球村分かち合い運動で勤務した。2009年日本の慶應義塾大学訪問研究員を経て、2011年梨花女子大学政治外交学科で博士号(論文名:「1990年代以降の日本の政治変動と市民社会:高齢者福祉NPOのアドボカシーを中心に」)を取得した。研究論文としては、「日本市民社会の二つの人道主義(2010、日本研究論叢、共著)」、「日本の政党政治の変化とNPOのアドボカシー(2011、韓国政治学会報)」、「日本の高齢者福祉ガバナンスとNPO(2012、日本研究論叢)」などがある。


I. 序論

ここ数年、日本は「龍馬앓い」の様相を呈している。2010年1月に放送された坂本龍馬のドラマは23.2%という高視聴率を記録し、坂本龍馬をテーマにした旅行商品が登場するなど、龍馬ビジネスが人気を集めている(<毎日新聞> 2010/01/03)。坂本龍馬は幕末、土佐藩出身の脱藩武士である。彼は徳川時代末期、開国を通じて経済力を蓄え、西欧列強に対抗できる近代国家を建設するというビジョンを提示し、当時の革命の二大勢力であった薩摩と長州の同盟を成し遂げ、幕府を屈服させる交渉力を発揮して明治維新を達成した。

変革の象徴である龍馬への近年の憧憬は、停滞状態にある日本の政治経済状況を代弁している。1990年代以降、急激に低下した経済成長率と財政赤字の拡大が、世界第1位の高齢者人口比率と重なり、現在の日本は社会的な活力を期待できない構造的危機に直面している。社会危機を政治の変化で打開しようと、2009年には54年ぶりに民主党への政権交代が実現した。しかし、これも日本の問題に対する根本的な解決策とはならず、民主党政権樹立後3年間で3人の首相交代が行われ、2011年3月の東日本大震災以降に見せた政府の危機対応能力は、国民の政府に対する信頼を急激に失墜させる契機となり、2009年の政権交代直後に80%を超えていた内閣支持率は25%を下回っている(<読売新聞> 2012/09/18)。政治的な求心力の不在は、小沢一郎氏をはじめとする民主党議員の大量離党につながっている。

日本の混乱を打開し、改革を主導した龍馬を想起させながら、最近注目を集めている政治家が、現大阪市長の橋下徹氏である。坂本龍馬は江戸ではなく土佐藩出身であり、既得権を捨てた脱藩武士として既存の支配体制の外からの変革を主導した。橋下徹氏もまた、大阪を中心に中央政治や既存の政党政治の外で日本の変革を図っている。橋下氏は2008年の大阪府知事当選以来、大阪市長を務める現在に至るまで、大阪府民、市民の70%以上の支持率を確保している。2012年9月現在、野田首相の支持率が25%前後であることを考慮すると、大阪地域における彼の地位は推して知るべしである。現在、大阪市役所には取材記者が50名以上常時待機しており、橋下氏のTwitterフォロワーは76万人に達し、日本の政治家の中で最も多い。日本のメディアが橋下氏に注目するのは、橋下氏が地域の強力な支持を背景に中央政界に影響を与える可能性を予測しているからである。実際に2012年1月、産経新聞が実施した世論調査によると、現在の日本のリーダーとして適任な政治家1位は橋下徹氏(21.4%)、2位は石原慎太郎氏(9.6%)、3位は岡田哲也氏(8.3%)と指名されている(<産経新聞> 2012/01/16)。

なぜ日本の世論は橋下氏に期待するのか?橋下氏のリーダーシップは、従来の日本の政治リーダーシップとどう異なるのか?橋下氏は、最も最近浮上している日本の政治リーダーとして、彼を扱った先行研究はほとんどない。一般的に、大衆的支持を基盤とする政治リーダーは、ポピュリスト的な特徴を通じてアプローチが試みられる。すなわち、パフォーマンスに長けた個人的資質、善と悪、味方と敵の二元論を前提とした戦略の駆使、大衆動員方式などが評価基準となりうる。しかし、このようなアプローチは、個人の政治的資質や手腕を強調するあまり、リーダーシップが発揮されざるを得なかった構造的要因を軽視する可能性がある。大衆の支持を得るために現実の問題にのみ固執する取引的リーダーシップ(transactional leadership)に注目することで、現在だけでなく未来に影響を与えうる変革的リーダーシップ(transformational leadership)の可能性を縮小させるという限界を持つ。

ジャン・ブロンドル(Jean Blondel)はリーダーを「環境の囚人」に例え、政治リーダーシップの根源は環境と関連付けて説明されるべきであることを強調している。彼によれば、政治リーダーシップの一次的な権威は法的な地位から生じうるが、リーダーを助けたり妨げたりする制度的、状況的環境は、リーダーシップの役割内容と影響力の強さを決定することになる(Blondel 1987, 4-5)。R.C.タッカー(R.C. Tucker)は、理想的なリーダーシップの要素として、診断(diagnosis)、処方(prescription)、動員(mobilization)の3つを挙げている。診断とは、リーダーが現実の問題を診断し、状況を把握することであり、処方とは、実行とは別に問題に対する解決策を提示することであり、動員とは、問題解決のために資源を動員する能力を意味する。整理すると、政治的リーダーシップは、構造的、政治的状況的要素と相互作用しながら、現実の問題を把握し、改革の目標と政策という解決策を提示し、大衆的支持を確保して変革を追求し、その影響力を強化する。

このようなリーダーシップの定義は、ヨーゼフ・シュンペーター(Joseph Schumpeter)の創造的破壊の概念を活用して説明される政治起業家(political entrepreneur)の議論とも結びつく(Martin & Thomas 2011, 3)。政治起業家とは、過去に存在しなかった資源動員によって既存の市場の均衡を破壊し、それによって創造的破壊を実現する人物である。政治起業家は、革新的な政策価値とアイデアを開発し、それを原型として改革的な政策を設計し、資源を動員してそれを実現し、選挙を通じてリーダーの地位を確保する。ジョン・W・キングドン(John W. Kingdon)は、政策変化を問題、政策、政治の多重の流れの結合を通じて説明し、政策変化を推進する行為者を政策起業家(policy entrepreneur)と概念化した(Kingdon 1984)。本論文では、地方中心の大衆的支持を基盤に全国的な影響力を確保している橋下氏を、政治起業家(political entrepreneur)の側面からアプローチし、橋下氏のリーダーシップの特徴を把握しようとする。橋下氏を政治起業家の概念を用いて説明しようとする理由は、橋下氏が日本と大阪が直面した危機に対する自身の政策処方を、継続的に社会的マーケティングを試みながら支持を拡大していっていると見なせるからである。

本論文における橋下氏へのアプローチは、大きく三つの部分に分けられる。第一に、橋下氏のリーダーシップが浮上しうる政治的機会構造として、最近の日本政治の潮流におけるアイデアの流れ、問題の流れを提示する。第二に、構造的、状況的環境要因に対する処方として、橋下氏の改革的代替案を検討する。第三に、改革を主導するために橋下氏がどのような戦略を通じて大衆動員を試みているのか、その戦略的特徴を把握するようにする。

II. 危機の逆説と橋下氏の登場

誰が政治的リーダーとして成功するかを決定する上で、文脈は重要な要因となる。文脈は、個人的背景、文化、歴史的要因、政治家が直面する挑戦などを含む(Keohane 2012, 104)。橋下氏は、個人と日本の政治危機の中で、新たな可能性の機会を捉える危機の逆説を示す政治リーダーである。

2世政治家が主流である日本の政界では珍しく、橋下氏は政治家系(政治家系)の背景を持たず、官僚出身でもない。1969年東京渋谷で生まれた橋下氏は、母子家庭で苦労して育った。小学校5年生の時に大阪府吹田市に転居し、その後、同和地区である東淀川で学童期を過ごした。幼い頃に別れた父親は、同和地区出身のヤクザ構成員であったと知られている(<アエラ> 2011/11/14)。橋下氏は、学力水準の低い同和地区の学生としては、まず進学が難しいとされる北野高校に入学し、続いて早稲田大学を経て司法試験に合格、弁護士となった。大阪で弁護士として活動していた橋下氏は、偶然の機会に大阪地域のラジオ番組に出演するようになり、これをきっかけに朝日放送、日本テレビの法律相談番組などにレギュラー出演するようになった。

テレビ出演のタレントとして人気を高めていった橋下氏は、古賀誠自民党選挙対策委員長、堺屋太一元経済企画庁長官らによって見いだされ、2008年1月に自民党、公明党の推薦、支持を得て大阪府知事選挙に出馬し、最年少知事として当選した。2011年11月には大阪市長に挑戦し、当選を果たした。特に、この選挙の対戦相手であった平松邦夫氏は、当時の現職市長であり、自民党、民主党、共産党などの支持を受けており、橋下氏の大阪都構想に反対の意を表明していた。したがって、2011年の大阪市長選挙の結果は、既存政党に対する大阪市民の不満と橋下氏への期待を内包的に示していると見ることができる。

脱・既存政党出身、非2世の政治家が、既存の支配勢力を凌駕し、70%を超える支持率を確保し、次期政治指導者1位と見なされている。ここでは、橋下氏が浮上し得た政治的機会構造として、中央と地方政治の問題の流れと、2000年代の日本政治の底流に位置する主導的改革アイデアを整理したい。

1. 日本の政治経済システムの機能不全

1990年代初頭のバブル経済に端を発した日本の景気低迷は、「失われた20年」に象徴されるように、なかなか解決の糸口を見いだせずにいる。2010年基準の日本の名目国内総生産は479兆円であり、1992年水準である。1989年の日本の長期債務は254兆円(国家188兆、地方161兆)で、1989年GDP規模の61%に相当するものであった。2009年には全体で819兆円(国家621兆、地方198兆)に達し、GDP規模の172%に達した。2011年の場合、一般会計総支出予算は92.4兆円であるが、歳入は40.9兆円であり、税収が歳出の44.3%に過ぎない(財務省 2011)。

1990年代以降、このような経済危機を解決するために取られた措置は、政治制度改革である。政治的効能感の向上を目標に、1994年には小選挙区制の導入などの政治改革が行われた。しかし、長期不況は継続し、官僚中心の非効率的な行政運営も続いた。2001年、大衆の圧倒的な支持を背景に始まった小泉氏の構造改革は、貧富の格差と地域格差を拡大させる副作用を生んだ。その後、日本で取られた危機打開の努力は政権交代である。2009年、民主党は「コンクリートから人へ」というキャッチフレーズを掲げ、大胆な政策変更を約束した。民主党は、税金の無駄遣い根絶、子供の養育と教育支援、年金の一元化と最低年金制度の施行、地域主権、雇用創出などをマニフェストとして提示した。既存の執権勢力に対する大衆的な不満に後押しされ、民主党は480議席中308議席を獲得し、自民党に圧勝した。2009年の総選挙で有権者が民主党を選択したのは、政権交代を通じて日本社会の衰退を食い止められるだろうという期待であった。しかし、2012年8月現在まで、民主党政権による社会的な効果は現れていない。2011年3月の東日本大震災により、日本の経済回復はさらに期待しにくくなった中、2009年に民主党が看板として掲げた児童手当及び農家一戸あたりの所得保障、高速道路無料化などがすべて撤回された。2011年11月の読売新聞の世論調査によると、「選挙で投じた一票が現実に反映されない」と回答した人が81%であり、民主党政権以前の2008年2月の67%より増加しており、民主党による政治主導の政策決定が適切に行われていないと答えた人も81%に達している(<読売新聞> 2011/11/24)。2012年7月のNHK放送委員会の調査結果によると、内閣支持率は19%、民主党支持率は19%であるが、自民党支持率も20%と低い。この調査結果は、不満は存在するが、代案が不在という、日本が置かれた進退両難の状況を代弁している...(続く)

*この本文は韓国語で書かれた原文を AI で翻訳したものです。一部の翻訳やニュアンスに誤りがある場合があります。

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